この冬、大阪でも何度か雪が降っているが、節分の朝の雪は屋根を白く染めた。
ひんやりとした空気が、以前住んでいた地でのことを思い出させるので、少し辛い。
古くからの知人と先日、久方振りに電話で話が出来た。
この知人、昔から守備範囲が広いようで、様々な物事に対しそれらをどう処理していけば良いか、その「やり方」をあれこれと知っているので、ある意味多方面において「便利」な人であった。
付き合いの長かったワタシから見て、この知人はいつもキャパシティを越えてあれこれ抱え込むところがあった。しかし、人から頼まれごとをされるのを非常に喜ぶタイプなので何とか色々同時進行でこなしてきていた様には聞いていたが、時々会って話を聞いているとほんと大変危なっかしかったし、常に綱渡りで歩いてきていた様子だった。
そしてとうとう知人は、長年大変お世話になっていた大事な人々に最大最悪の形で迷惑をかけてしまった。
限界を超えて無理に走り続けた結果、ある日急に自分の担当分を放り出し
「もう頑張れません」
と投げ出した。
周囲は、この知人が色々と処理してくれる前提で任せていたものだから先々の見込みも狂ったし、恐らく仕事の割り振りも混乱して大変だったのではないかと思う。
事の次第を後から聞いて、皆
「何故もっと早く言わなかった」
と言ったし、ワタシもそう思った。
ただ、長年話を聞いてきていていつも思ったのは、何が大事かが分かっており、かつ「やり方」を知っていて、その上で物事を片付けられる人材というのが本当に少ない、という問題が常にあったということ。少数のメンバーが常に多くを抱えて24時間365日動かざるを得ない、という状況、それ自体が最も問題だった。
(そしてこの問題は、どのジャンルでも起こり得るし、実際、起きている。)
この知人から先日の電話で直接聞いたのだが、昨年末、知人は御迷惑をかけた方々のうちのお一人に会えて、この時にやっと、初めて謝罪することが出来たのだそうだ。
その方は、知人の頭を拳でコツンとやった後
「馬鹿野郎」
と、たった一言。
それだけしか仰らなかったのだそうだ。
知人との長い付き合いの中で、知人とその周囲の方々がここ数年抱えて片付けてきていた物事がどういうものであったのか、どの様な困難な状況であったのか、ワタシはこの知人を経由して幾分かは知っている。
なので電話を終えた後、ワタシは泣けて仕方が無かった。
知人が急に投げ出した後、勝った・負けたの基準で物を言ったり汚い言葉を吐いた人等がいたという話を人づてにワタシも聞いた。
(そういう話は、案外早く伝わるのだ。)
自己の得や利益を優先するために、驚く様なことをする人も世の中には多い。
だが、知人と深い付き合いの有った人たちは黙って見守った。
知人と長い付き合いのあったワタシも、そのことを大変有り難く思っている。
以前接点の有った若い人達が苦労している話も断片的に聞いた。
若いが故に、自分の中の正しさと直面している現実との間でかなりしんどい思いをしているようだが、どうか気持ちが折れることの無いようにと願っている。
あの人達の明るく前向きな姿勢、元気な様子にワタシはいつも気持ちが助けられていた。
何が大事なのか、何をやらねばならないのか、10年後、20年後のために今は何をしなくてはならないのか考えることは本当に大事なのだと、もう随分前から考えている。
「やり方」をよく知っている少数の人で物事をまわしていくのは限界があるし、無理に無理を重ねて体を壊したりした人がワタシの周囲にも多く居る。
頭の中の考えがどんなに正しくとも、過程がどんなに評価されても、結局のところ、最終的に出た結果がどうかが重要なのだが、少数の人員で24時間365日動く体制の中で目の前の懸案を片付けていくことに忙殺されて、大事なことが先送りされるのをもう今まで何度も見てきた。
薄っすらと積もった雪を見ていると、どうしても色々思い出す。