アーベントロート指揮の録音のCDって、ライプツィヒ放送交響楽団やベルリン放送交響楽団とのものが多分一番入手しやすいのですが、第二次大戦以前の録音のCDは、やっぱ少ない。
戦前のでよく注目されるのは、1937年や1939年の
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団とのベートーヴェン:交響曲第5番。
1930年後半?1940年代前半の頃の録音は他にも時々出ている。
2003年06月にNM CLASSICSから
「ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラ集大成第1巻 1935-1950 」
ライヴ放送録音集が出て
レーガー 「ベックリンによる4つの音詩」
(アーベントロート指揮 ,1941.2.20)
これが聴けた時にはもうホンマ嬉しかった。
+++
さて、アーベントロートはケルン室内管弦楽団とは録音を残しているんですが(以前TahraがCD化した)、
ギュルツェニヒ管弦楽団との録音は残していない
という記述の資料がいくつかあります。
放送用の録音ならドイツかロシアのどっかに残っているかもしれない、というウワサを聞いたことはありますが、未確認。
アーベントロートの経歴紹介文の中で
・1914年から1934年の間、ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団で指揮
・1915年、フリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855-1916)の後を継ぐ形でケルン音楽院の院長になる。
・1918年から1934年ケルン市の音楽監督
・1925年ヴァルター・ブラウンフェルス ( Walter Braunfels 1882-1954 ) と共にケルン音楽大学を設立。
↑
この辺り、つまり ケルンでのキャリア(1914年-1934年)が省かれているものが時々あります。
1934年-1945年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター、てのは大体書いてあるですが。
(ちなみに、前任者ブルーノ・ワルターがナチスによりカペルマイスターの職を追われた後の1933-1934年シーズンでの残り5回のコンサートでは、カール・シューリヒトがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮したそうです。)
色んな資料を漁っても、ケルン時代のことに関しては断片的なことがボチボチとしか情報が集まらなかったりしてて、自分のサイトへもチマチマと加筆してってるという状況。
[ 1922年、Niederrheinischen Musikfestes (低地ライン・音楽祭)に direktor (監督)として参加した、というのも、実は結構最近になって知った。 ]
そして、やったぜ!ネタ元見つけた!と思ったら、それは大概輸入盤CDのライナーノートで
in English 、in German ・・・。
翻訳サイトの力も借りつつ辞書片手に目に涙をためながら訳しております、いつも。
どなたか、日本語で書かれている本で何かいいのをご存知でしたら是非教えて下さい(切実)。
ニューグローヴ世界音楽大事典で見た情報も、ワタシにとってはまだまだ足りなかったのです。
・・・あう、もしかして、アーベントロートのバイオグラフィー情報を必死こいて集めてんのって、
日本ではワタシくらいなんでしょか。
うわ-ん(泣)。
専門家の方が、きちんとした形で本とか書いて下さるといいなぁ、といつも思ってます。
+++
*ワタシが参照してきた資料一覧*
*ワタシがまとめたアーベントロートのバイオグラフィー情報*
+++
戦前のでよく注目されるのは、1937年や1939年の
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団とのベートーヴェン:交響曲第5番。
1930年後半?1940年代前半の頃の録音は他にも時々出ている。
2003年06月にNM CLASSICSから
「ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラ集大成第1巻 1935-1950 」
ライヴ放送録音集が出て
レーガー 「ベックリンによる4つの音詩」
(アーベントロート指揮 ,1941.2.20)
これが聴けた時にはもうホンマ嬉しかった。
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さて、アーベントロートはケルン室内管弦楽団とは録音を残しているんですが(以前TahraがCD化した)、
ギュルツェニヒ管弦楽団との録音は残していない
という記述の資料がいくつかあります。
放送用の録音ならドイツかロシアのどっかに残っているかもしれない、というウワサを聞いたことはありますが、未確認。
アーベントロートの経歴紹介文の中で
・1914年から1934年の間、ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団で指揮
・1915年、フリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855-1916)の後を継ぐ形でケルン音楽院の院長になる。
・1918年から1934年ケルン市の音楽監督
・1925年ヴァルター・ブラウンフェルス ( Walter Braunfels 1882-1954 ) と共にケルン音楽大学を設立。
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この辺り、つまり ケルンでのキャリア(1914年-1934年)が省かれているものが時々あります。
1934年-1945年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター、てのは大体書いてあるですが。
(ちなみに、前任者ブルーノ・ワルターがナチスによりカペルマイスターの職を追われた後の1933-1934年シーズンでの残り5回のコンサートでは、カール・シューリヒトがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮したそうです。)
色んな資料を漁っても、ケルン時代のことに関しては断片的なことがボチボチとしか情報が集まらなかったりしてて、自分のサイトへもチマチマと加筆してってるという状況。
[ 1922年、Niederrheinischen Musikfestes (低地ライン・音楽祭)に direktor (監督)として参加した、というのも、実は結構最近になって知った。 ]
そして、やったぜ!ネタ元見つけた!と思ったら、それは大概輸入盤CDのライナーノートで
in English 、in German ・・・。
翻訳サイトの力も借りつつ辞書片手に目に涙をためながら訳しております、いつも。
どなたか、日本語で書かれている本で何かいいのをご存知でしたら是非教えて下さい(切実)。
ニューグローヴ世界音楽大事典で見た情報も、ワタシにとってはまだまだ足りなかったのです。
・・・あう、もしかして、アーベントロートのバイオグラフィー情報を必死こいて集めてんのって、
日本ではワタシくらいなんでしょか。
うわ-ん(泣)。
専門家の方が、きちんとした形で本とか書いて下さるといいなぁ、といつも思ってます。
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*ワタシが参照してきた資料一覧*
*ワタシがまとめたアーベントロートのバイオグラフィー情報*
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