境山の文机

ヘルマン・アーベントロート(1883~1956年)について調べています。 http://sakaiyama.jp/

読む。

Under the Rose、Honey Rose(船戸明里)

「自分だけが

この世の全ての理(ことわり)を知り尽くしていると考えるのは

愚かなことだよ

ライナス・キング」

by ウイリアム



「Under the Rose 冬の物語 文庫版p130-131より」

http://detail.booklog.jp/asin/4344813677/



maityさんのところで、Under the Roseの話題を書かれていたので、
http://yaplog.jp/maity_bling/archive/273


ワタシもちょこっと書いてみる。


冬の物語は、文庫版になっているのですが、読み終えた後
知人に激しくおススメして回りました。


冒頭に引用したウイリアムの言葉、これはほんと
10代・20代の若者は皆、肝に銘じておきなさい、
と言いたい。
あと、いつまでも自分探しをしている大人達にも。


これだけ登場人物が多いと、皆それぞれ感情移入してしまう
キャラがいると思うのですが、私の場合はアンナと
ウイリアムでした。特に、ウイリアム。


Honey Roseを読んでからまたUnder the Roseを読み返すと、
ウイリアムとレイチェルの今後をある程度予測出来て
しまうので、色々複雑な思いがする一方、最初から
捻じれていた2人がどうなるのか、予想のつかない
ところも有ります。



本



ピアノを武器にするカウボーイ(ロダーリの短編から)

2月22日は猫の日。

http://www.nnh.to/02/22.html



猫が好きなクラヲタのワタシとアナタのために
今夜はロダーリの短編集をご紹介。
 ↓
 ↓
「猫とともに去りぬ」

ジャンニ・ロダーリ著
関口英子訳

ISBN 4334751075



ロダーリ[1920-1980]は学生の頃ヴァイオリンを習い、
友人とバンド活動もしていたらしい。
短編集「猫とともに去りぬ」には表題作以外にも
クラヲタにとって大変
「ツボ」
な物言い・表現が満載なのだ。


例えば、生まれた直後にシューベルトのアルペジョーネ・ソナタについて
「なかなかいい曲なんだ・・・」
と感想を述べるカルロ(男の子)の話。
このカルロと大人達とのやり取りといったら・・・!


それ程クラヲタでは「ない」というアナタは、この短編集を
読んでいてもしも知らない・聴いたことがない曲が出てきたら、
まずはググってみることをオススメ。
ネットの海の向こう側で

「この曲は・・・である」
「・・・に違いない」

と、長々書き綴る文章にアチラコチラできっと出会うことでしょう。
それらを読んだ後で、もっかいカルロのお喋りを読み返してみて欲しい。


猫

別にクラシック音楽に限らず、好きなことを延々語る時の文体・口調というのは結構似通っているものだ。しかし時折ワタシは思うのだが、クラヲタは、聞かれた以上に、いや何倍も、知っていることや自分の想いを長く語りがちなのではないかと。

何でだろうねぇ・・・・・(自戒の意味も込めて)。

猫


ピアノを武器にするカウボーイのお話

「ピアノ・ビルと消えたかかし」
 ↑
これは特に、おなかを抱えケタケタ笑い転げながら読んだ。
お茶飲みながら読むのは非常に危険。注意

銃を持たず、ピアノを武器にするという荒唐無稽な設定。
白馬に乗るのが絶対音感を持つビル、その後を
黒馬に乗ってついていくのがピアノ。

ビルはショパンをめったに弾かない、シューベルトのよく
知られたあの曲をどうしても弾くことが出来ない、そして
最愛の音楽家はバッハ。

このお話を読んだことの無いアナタの楽しみを削がない様に、と
注意深くなろうとすると紹介出来る部分がどんどん無くなって
しまうというのが、この短編の唯一の欠点(←勿論、誉めてる)。



譜面



「算法少女」が文庫本になってた。

こないだ、本屋でふらふら歩いてたらば
とても懐かしいあの本が、筑摩書房より
文庫本で出てることに気付いた。


「算法少女」  遠藤寛子(著)


 ↑
ワタシがコレを初めて読んだのは、確か8才の頃であったかと思う。
江戸時代の算法には流派があっただとか、大人の事情が絡む話だの、小学生でも“へええ”と思いつつ読めた記憶がある。

壺中の天

という言葉を初めて知ったのも、この本だった。



あの頃のワタシは、小学校からの帰り道に歩きながら本を読んでおったもので、もうバンバン視力が落ちて、それでも読むのを止められなかったんだった、そういや。

家

今は胃の具合がイマイチなので壺中の天へワタシはまだ行けないのだが、この頃やっと夜眠れる様にはなってきていて、自分がここ数年間浅い眠りに悩んできた、あれは何だったのだろうか、と考えている。

「メンデルスゾーン家の人々」読んだ。

「メンデルスゾーン家の人々 ― 三代のユダヤ人」
ハーバート・クッファーバーグ (著), 横溝 亮一(訳)


1985年に出た本なので現在在庫切れらしいのですが、幸い図書館に置いてたのを知り、こないだかりてきて数日がかりで読みました。
所々で「んっ?!」と思う箇所も有ったことはあったのだが(書かれたのが随分前だし)


・・・もう、すっごい興味深い話が沢山載ってたよ!
この本、読んでみてトテモ良かったー。



ワタシは音楽雑誌というものをほとんど読まないので(CDのライナーノートは多少読むんだけど)、音楽家やその周囲の人々に関するモロモロの話に物凄く疎いんですが、



フェリックス・メンデルスゾーンの名前には、なんでフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ、とバルトルディが付くのか
 ↓
父アブラハム・メンデルスゾーンの代に改宗していて、メンデルスゾーン・バルトルディ・・・・・と二重の姓になったこと

[9/7追記]
(こないだこの辺を大雑把に書いたので補足。アブラハムは身内への遠慮等もあったもんでまず子供達を1816年に先に改宗させ、この時フェリックスは7歳だったそうです。でも親と子供の宗教が違うという状態だったもので、6年後の1822年にアブラハムも妻・レアも改宗。)


また父アブラハムは息子が16歳の時に用意してあげた名刺には
「フェリックス・M・バルトルディ」
とあった、これは親としてイロイロ考えた上でのことだったが(カントとも交流のあった祖父モーゼス・メンデルスゾーンが、ユダヤ人の哲学者・メンデルスゾーンとして既にヨーロッパで超有名であることとか)、フェリックスは自分の姓はメンデルスゾーンだと主張し父と言い争いになる。結局フェリックスは、ずっとフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディと名乗り続けた。



・フェリックスは12歳の時なんと、当時72歳のゲーテのおうちへ16日滞在したことがある
(この頃の人にとってゲーテの家に招かれるというのは神秘的かつ高貴な経験・・・という感じだったらしい。ゲーテは多くの友人達に書いた手紙にフェリックスのことを記しているそうです、またフェリックスが家に帰る際にもたせたお土産の中には彼のためにゲーテが書いた詩もあったそうな。)



・フェリックス・メンデルスゾーンが1829年にベルリン・ジングアカデミーでマタイ受難曲を指揮したのがまだ20歳の時だった
(先生であるツェルターは大分反対してたけど、ベルリン・ジングアカデミーの有力メンバーの1人・デヴリエントとフェリックス・メンデルスゾーンが説得し、理事会の議事に載せてもらって、その後歌手達を指導、メンデルスゾーンが改訂した楽譜を使った)



・フェリックスはイギリスに初めて滞在した20歳の時、白い指揮棒を作らせてそれを使い指揮してた
(イギリスで指揮棒での指揮を初めて導入したのがシュポアで、フェリックスより10年位前だったとのこと)


・当時のイギリスでフェリックスは大歓迎されてて、ヴィクトリア女王にバッキンガム宮殿へ招かれた時フェリックスがピアノをひき、ヴィクトリア女王が歌い楽しんだりするといった交流もあった




こーゆーエピソードなども、今までじぇんじぇん知りませんでした。
そしてこの頃のユダヤ人がどういう困難を抱えていたか、ということについてもワタシはほんと何も知らなかった、ということを改めて知りました。


あと、フェリックスのじーちゃん、モーゼス・メンデルスゾーン

この方、色んなエピソードを読めば読むほど、ホンマすごい人だなぁ、と感嘆することしきり。


返却期限までまだ日があるので、この本、何度か読み返そうと思います。


あと、ワタシ自身がよく聴く曲の中にメンデルスゾーンのはあんまし無かったのだけど、
(度々聴くのはエリヤとかVn協奏曲くらい)
でもこれからは、もっとドンドン聴いていかねば、という気持ちにもなりましたです。



本    本 

銀色のはしごをのぼっていく。


「きつねの窓」の、静かでどこか物悲しい青い世界をまた読みたくなって、
以前買ったこの本。


「 なくしてしまった魔法の時間 」 [ 安房直子コレクション 1 ]



ほそい糸がふるえて生まれる、ひとつひとつの音は、銀色のはしごをつくっていくのです。熊は、さびしい心をもったまま、その音楽のはしごを、ずんずんのぼっていけばよいのです。すると、さびしい心は、ふっと軽くなって・・・・・・。
「音楽を聞いてると、心が月までとどくんだな、きっと。」
熊は、うっとりとつぶやきました。


「北風のわすれたハンカチ」から一部引用。P.287


この時、熊さんが聞いたのは、北風のおかみさんがヴァイオリンで弾いたメヌエット。




さびしい心をもったまま、音楽のはしごをのぼっていく。




ああ本当に、音楽をきく時ワタシもそうした気持ちがどこかにあるなぁ、ということを思いました。


子供の頃には思いもしなかったことだけれど、大人になってからは、ある日ふと気付いてみれば心の中にねじれ、ひび割れが出来てしまっていることがある。
そうした時、何だか気持ちが渇いて仕方が無くて、とてもとても音楽を欲する、ということがあります。



自分的に


音楽のはしごをのぼっていく


という感じに一番ピッタリするのはどの録音かなぁ、と思って、今、真っ先に浮かんだのはコチラでした。




「ショスタコーヴィチ 交響曲第8番」
ムラヴィンスキー指揮
レニングラードフィル
(1982年)
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